境内のご案内
中門
本堂
昭和三十五年に再建されました。
庚申塔(青面金剛刻像塔)
2基ありますが 左は延宝年間、右はは元禄年間のものです。小高い場所にあれば 庚申塚ともいいますが 一般的にはこのような形であっても塔とよんでいます。庚申は中国の道教が日本に伝わり、奈良時代末から貴族を中心に定着しました。室町時代になると庚申待ちという念仏講的な風俗となっていきます。江戸時代になると申と猿の関係から神道の色彩を帯びてきます。庚申(かのえさる)は一年間に6~7回あるのでこれを特別な日として庚申をお祀りするようになりました。
石塔(弘法大師一千百年御遠忌報恩塔)
御遠忌(ごおんき)は 弘法大師の忌日にあたる年を50年ごとに盛大に執り行う法要のことです。碑文は 時の豊山派管長富田斅純(とみたこうじゅん)師の揮毫です。師は中野の宝仙寺住職でもありました。
篆刻石碑
倶に一處に會すと刻してあります。
梵鐘(宝暦十年の鋳造)
乳の間と呼ばれる上半分に百字の真言が梵字(ぼんじ)で陽刻されていますが この仕様の梵鐘は珍しいもので 江戸湯島の真言律宗霊雲寺浄厳律師の考案といわれています。
愛染院の新宿区指定文化財
高松喜六の墓
元禄十一年に甲州街道の宿場を新設した内藤新宿開発人です。正徳三年に没しました。
塙保己一の墓
寛政五年に番町に和楽講談所を開設し、文政二年に群書類従を完成させ、文政四年に没しました。